2009年07月01日

個別の経済活動を集計した一国経済全体を

マクロ経済学(macroeconomics)とは、個別の経済活動を集計した一国経済全体を扱う経済学である。マクロ経済変数の決定と変動に注目し、適切な経済指標とは何か、望ましい経済政策とは何かという考察を行なう。その主要な対象としては国民所得・失業率・インフレーション・投資・貿易収支などの集計量がある。またマクロ経済分析の対象となる市場は、生産物(財・サービス)市場、貨幣(資本・債券)市場、労働市場に分けられる。対語は、経済を構成する個々の主体を問題にするミクロ経済学。

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なお、マクロ経済とミクロ経済との二分法を最初に考案したのは、ノルウェーの経済学者ラグナル・フリッシュ。「ミクロ経済学」と「マクロ経済学」の用語をはじめて用いたのは、オランダの経済学者ウルフ[1]。

新古典派によると資本市場で自然利子率が決定される。生産はセイの法則によってワルラス均衡が達成される自然水準にあると信じられてきたが、1930年代に米国を襲った恐慌によりこの見解への懐疑が生まれる。

この懐疑の中、ジョン・メイナード・ケインズは「雇用・利子および貨幣の一般理論」を発表する。ケインズによると貨幣市場において流動性選好と貨幣供給量によって現実の利子率が決定される。将来に対する不確実性を伴う長期期待から導かれる期待利潤率(資本の限界効率)と利子率から決定される投資と貯蓄の均衡によって現実の生産水準(国民総生産、国民所得)が決定される。ケインズは、不均衡が価格硬直性から派生するとした古典派の主張を退け、彼らのセイの法則を否定した有効需要の原理に基づいて、自然生産水準と現実生産水準の乖離を埋めるための有効需要政策の必要性を訴えた。この主張によって、それまでのセイの法則の受容によって成立していた新古典派経済学体系が覆されるというケインズ革命が起こる。

2009年06月13日

膨張する宇宙がこの先どのような運命をたどるかは

膨張する宇宙がこの先どのような運命をたどるかは、アインシュタイン方程式の解である宇宙モデルによって異なる。

一般に、一様等方という宇宙原理を満たすような宇宙の形には、空間の曲率が0の平坦な宇宙、曲率が正の閉じた宇宙、曲率が負の開いた宇宙の3通りが可能である。

平坦な宇宙か開いた宇宙であれば宇宙は永遠に膨張を続ける。閉じた宇宙であればある時点で膨張が収縮に転じ、やがて大きさ0につぶれる(ビッグクランチ)。

2005年時点での最新の観測結果によれば、宇宙は平坦な時空であり、このまま引き続き広がり続け、止まることはないと考えられている。
クラシック音楽
南極と北極
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債券
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通訳
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宇宙の年齢・大きさの項目とも関連するが、平坦な宇宙や開いた宇宙の体積は無限大であり、このような宇宙では宇宙誕生当初から体積は無限大である。これは、宇宙が素粒子よりも小さな大きさから膨張を始めたというビッグバン宇宙論やインフレーション宇宙論と相容れない点である。無限から無限への膨張は矛盾しないが有限から無限への膨張には少なくとも1度は無限大の膨張速度が必要でありインフレーション宇宙論においても説明できない。ただし「開いた宇宙」は現在有限(で閉じた)宇宙だが永久に膨張を続けるという意味で時空的に無限という意味合いで使われることもある。この場合は膨張速度無限大の問題は生じない。

宇宙が平坦であり永遠に膨張を続けるということは、最終的に宇宙は絶対零度に向かって永遠に冷却し続けることを意味する(現在は3K、約-270度だといわれている)。

地球は惑星のひとつであり、いくつかの惑星が太陽の周りを回っている。太陽とその周りを回る惑星、その周りを回る衛星、そして準惑星、小惑星や彗星が太陽系を構成している。

太陽のように自ら光っている星を恒星という。恒星が集まって星団を形成し、恒星や星団が集まって銀河を形成している。

銀河は単独で存在することもあるし、集団で存在することもある。銀河の集団を銀河団といい、銀河団や超銀河団の分布が網の目状の宇宙の大規模構造を形成している。網の目の間の空間には銀河はほとんど存在せず、超空洞(ボイド)と呼ばれている。

天文的な距離を表すのには光年がよく用いられるが、銀河間の距離や宇宙の構造を取り扱う場合にはメガパーセク(Mpc)が使われることがある。

宇宙の最大観測可能距離:4200Mpc
かみのけ座銀河団までの距離:90Mpc
超空洞ボイドの直径:30?10Mpc
おとめ座銀河団までの平均距離:20Mpc
アンドロメダ銀河までの距離:0.7Mpc
銀河系の直径:0.03Mpc

2009年06月08日

サーンキヤ学派

サーンキヤ学派(-がくは)はダルシャナ(インド哲学)の学派で、精神原理と物質原理を分ける二元論を唱える。シャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに数えられる。

精神原理であるプルシャは永遠に変化することない実体である。物質原理であるプラクリティは第1原因とも呼ばれ、サットヴァ(純質)・ラジャス(激質)・タマス(翳質)という、相互に関わる3つの構成要素からなる。これら構成要素が平衡状態にあるときプラクリティは変化しない。
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しかしプルシャの観察を契機に平衡が破れると、プラクリティから様々な原理が展開してゆくことになる。プラクリティ→理性→自我意識という順序で原理が現れ、自我意識からは思考器官・知覚器官・行為器官が生まれる。知覚器官には耳・皮膚・眼・舌・鼻があり、行為器官には発声器官・手・足・排泄器官・生殖器官がある。また、自我意識は他方では素粒子(音・触感・色・味・香)を生み、素粒子は五大の要素(虚空・風・火・水・土)を生む。これらの対象は知覚器官に対応している。

プルシャはこのような展開を観察するのみで、それ自体は変化することがない。人はプラクリティから展開した理性、自我意識などを主体であると思い込む錯覚に陥っているが、本来の自我であるプルシャに目覚めることで解脱が果たされるとしている。

サーンキヤ学派はヨーガ学派と対になり、ヨーガを理論面から基礎付ける役割を果たしている。

2009年04月25日

アリアラテス4世の治下に

アリアラテス4世の治下に、カッパドキアは共和制ローマとの関係を持つにいたった。最初はアンティオコス3世の主張を支持し敵対者として、それからマケドニア王国のペルセウス王に対抗する同盟者としてである。 王たちはこれ以後、それまで折々に従属してきたセレウコス朝シリアに対抗して、共和制ローマと同盟した。アリアラテス5世はローマの前執政官のプブリウス・リキニウス・クラッスス・ムキアヌスとともにペルガモン王国の王位主張者w:en:Aristonicusに対して軍を進めたが、彼らの軍は殲滅された(紀元前130年)。彼の死後の混乱は最後には、勃興するポントス王国の介入と王朝の崩壊に終る陰謀と戦争を招いた。

カッパドキア人は、ポントス王ミトリダテス6世に対してローマの支援を受けつつ、地元の後継領主にアリオバルザネス1世を選任した(紀元前93年)。しかし、紀元前63年にローマがポントスとアルメニアの王たちを同時に打ち破るまで、彼の支配は確立されなかった。 ローマの内戦中には、カッパドキアはポンペイウスに組し、次にはユリウス・カエサルにつき、またマルクス・アントニウスに従い、そして彼に対抗した。アリオバルザネス王朝は終わりを迎え、その代わりにアルケラウスという人物が、始めはアントニウスの、次にオクタビアヌスの支援によって統治した。この従属的独立は紀元17年まで維持されたが、ティベリウス帝の時代、アルケラウス王の不名誉な死とともに、カッパドキアはついにローマの属州となった。

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カッパドキアはいくつかの地下都市を有しており、主として初期キリスト教徒によって、隠れ場所として使用された。4世紀のカッパドキアの神父たちは、初期キリスト教哲学の多くに対して不可欠な存在であった。

後期青銅器時代にハッティ人

カッパドキアは、後期青銅器時代にハッティ人として知られ、ハットゥシャに中心を置いたヒッタイト軍の本拠地となった。

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ヒッタイト帝国の滅亡の後、紀元前6世紀のクロエススによる敗北以後のシリア系カッパドキア人(w:en:Moschoi)の衰退によって、カッパドキアは強固な城に住み、農民を奴隷状態においた、一種の封建貴族の軍政に委ねられた。これは後に、彼らをして、外国の奴隷制度に適した者とした。 カッパドキアは皇帝ダレイオス1世によって設置された区画の中でペルシア帝国第3サトラップに含まれた。しかし、誰もその地方全体に対して明確に至上な存在ではなく、大王に対してほぼ完全に従属した地元の支配者たちによる統治が長く続いた。 最後にはサトラップのダタメスによって徹底的に抑えられ、カッパドキアは、一人の統治者アリアラテス(以後、「アリアラテス1世」と呼ばれる)のもとで独立を回復した。彼はアレクサンドロス大王と同時代の人であり、ペルシアの君主制が滅びた後も、カッパドキアの王位を維持した。

この地域にアレクサンドロスが訪れることはなかった。彼は、小アジアから出発する前にアリアラテスによってなされた彼の統治権への従属的承認で満足した。そして、土着王朝の継続はアレクサンドロスの死後の短い期間のみ中断された。なぜならその時、帝国の全体的な分割の中で、王国はエウメネスのものとなったからだ。彼の権利は、アリアラテスを磔刑にした摂政のペルディッカスによって紀元前322年に履行された。しかしエウメネスの死をもたらした紛争の中で、アリアラテスの息子は遺産を回復し、それを後継者の血統に残した。それゆえ彼は、たいていの場合王朝の創始者の名を担っている。

2009年04月07日

常套句の使用

一部のジャンルのゲーム音楽には常套句がある。例えば美少女ゲームの多くは、主題歌のオルゴールないしピアノのアレンジ曲を含む。またアダルトゲームでは主に合意的な性描写シーンにおいて、ピアノやハープあるいはそれらを模した減衰音が好んで使われるなど。

これらの常套句に沿った音楽を使用することで、プレーヤーに既聴感を与え、シーンの解釈を補助する役割がある。一方で、過度にこれらの常套句に頼り過ぎると音楽が説明的となることもある。

アニメ主題歌の引用
アニメを基にゲーム化した作品(いわゆるキャラクターゲーム)では、そのアニメの主題歌をそのままあるいはアレンジしてゲームミュージックに用いることが多い。

ファミコン初期においてはバンダイの『オバケのQ太郎 ワンワンパニック』のタイトル画面や『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』のマップ選択画面はアニメ主題歌の特徴的なフレーズ(冒頭やサビ)をそのまま引用している。1990年代以降はアニメとゲームそれぞれの制作会社のタイアップ関係も深いので、主題歌はもちろんBGMもアニメ作品から直接引用したものをゲーム内でも用いる例もある(バンダイの『美少女戦士セーラームーンR』(SFC版)など)。

通常はこのように主題歌を正式な形で引用することが多いが、ファミコン初期においては、はっきりと引用と言い切れないような微妙な引用も見られた。例えば、ハドソンの『忍者ハットリくん』や『ドラえもん』などでは、曲の途中で突如数音単位で主題歌を連想させるフレーズが現れ、すぐにオリジナルの音楽(ハットリくんの場合はクラシック音楽)に移行するようになっている。これらの引用は、耳ざといプレーヤーがやっとアニメ主題歌だと気づく程度の短さであり、公的にこれが引用であると証明することは恐らく困難を極める。何故このように微妙な形での引用がなされているかの理由は不明であるが、制作費の都合により著作権使用料を払う余裕がなかった、作曲者等からの使用許諾が得られなかった、あるいはゲーム内における著作物の使用についての見解(演奏に該当するのか/新たな録音物の作成に該当するのか、ゲームソフト1本ごとに使用料が発生するのか/楽曲1演奏ごとに使用料が発生するのか等)が一定していなかったり、そうした見解の整合を億劫がって適当に言い逃れできそうな形に収めた、等の理由が推察できる。

クラシック音楽の引用 [編集]
クラシック音楽の多くは著作権が切れており、また人口に膾炙していることからゲーム中でよく使われる。特に初期のビデオゲームはPSGなどの内蔵音源でそれらのクラシック音楽を鳴らすため、普段のクラシック音楽の場面ではまずありえないような音色でそれらの曲を聞くことができる。それらは曲調や調性が原曲とかけ離れてアレンジされていることも少なくない。最初期の例では『マリオブラザーズ』のゲーム開始音に使われるモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」や、『けっきょく南極大冒険』でのワルトトイフェルの「スケートをする人々(スケーターズ・ワルツ)」などが挙げられる。また、あえて作品中の大半のBGMをクラシック音楽の名曲群に同社の他ゲームのBGMとの掛け合わせのアレンジを施した楽曲でまとめた『パロディウス』シリーズなどもある。

一般リスナーへの浸透 [編集]
ゲームミュージックの認知と評価が高まるまでには、作曲家のすぎやまこういちが作曲を担当した『ドラゴンクエストシリーズ』がヒットし、その音楽が一般にも知られるようになったことが、大きな転機となった。一部のゲームソフトメーカーのカリスマ的な人気を持つサウンドコンポーザーが一定の評価を得ているほか、自らライブなどのパフォーマンスやフルオーケストラへの編曲を行うチームもある。

演奏会活動も行われることとなり、過去にはゲームミュージックコンサートが行われたほか、毎年夏頃に行われるファミリークラシックコンサート(指揮:すぎやまこういち)には、多くの家族連れなどで賑わっている。また、アマチュアオーケストラ団体であるリトルジャックオーケストラも毎年ドラゴンクエスト、ファイナルファンタジーをメインとしたゲーム音楽をフルオーケストラで演奏している。

元々ゲームのBGMとして作成されているためテレビ番組などでBGMや効果音として使われることも多く[6]、それと気付かずにゲームミュージックを聴く機会も増えた。21世紀初頭現在ではコンピュータゲーム全般において、ゲームミュージックはゲームを楽しみ評価するための要素の一つとなっており、多くのファンや愛好家が存在する市場・ジャンルとなっている。

ゲームミュージックに関連する音楽作品 [編集]
ゲームミュージックに関連して、ゲームへの内蔵以外のメディアとして製作・販売されている音楽作品としては、ゲーム中の楽曲を通常の楽器演奏などで再構成したもの、ゲームそのものの内容に関連するイメージソング、ゲームのサウンドを取り入れた全く別の楽曲などがある。

アレンジ・サウンドトラック
ゲームミュージックそのものにファンがつくに従って、一度ゲームミュージックとして作曲された曲を、オリジナル音声そのものとしてレコード・CD化して発売するのみにとどまらず、音源の性能の良いプロユースのシンセサイザー、或いはピアノやオーケストラなどの生楽器にアレンジして新たにサウンドトラックとして発売することも行われるようになった。初期には上述の『ドラゴンクエスト』シリーズのほか、コナミの『グラディウス』シリーズや、日本ファルコムの『イース』シリーズなどのアレンジCDが挙げられる。ただし、上述した技術進歩により音が生の楽器の音に近づいたことによってアレンジは行われなくなっていく(『ファイナルファンタジーVI#FFシリーズの音楽について』も参照)。
キャラクターのイメージソング
主に人気のある美少女ゲームや女性向けゲームにおいて、そのゲームに登場する各キャラクターを演ずる各声優が新たな歌やショートドラマを収録し、CDにして発売するもの。この際主役級ではないキャラクターは、そのキャラクターに最も良く使われたBGM(多くの場合そのキャラクターごとのテーマ曲)が編曲・あるいは新規に製作されて歌になることが多い。
ゲームミュージックを取り入れたポピュラー作品
イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)は1stアルバムで『サーカスのテーマ』、『インベーダーのテーマ』という曲を発表している。ゲームミュージック専門のアルバムは同じくYMOの細野晴臣がプロデュースして、ナムコのゲームから『ゼビウス』、『リブルラブル』、『ギャラガ』などのサウンドを収録した『VIDEO GAME MUSIC』が元祖だった。21世紀初頭現在でも『スーパーマリオブラザーズ』の曲をサンプリングしたトンガリキッズの『B-DASH』などがある。

マリゴール ユーロシ 法則 プロキオ パティ フェンリル ロボコン プラン とうみ ドロン デザイナー ひかわ ウンギョー クロスバー デリシ 宿儺南瓜 フロアマ バナバ ぶどう ハツユ ァサード パイ セミダブル ミコロン スキャンダル ピザク トライアル ギンリ ビコル カデット ブレーン エイド ヒート フロアス エーエスピ シュリン くわい サイト冬瓜 紀州 レーシ うたしない ベジス ブック ノベル ジャル ワイフ ニュー フリ モラテオ はっとう

2009年03月23日

国鉄の特殊狭軌線

国鉄の特殊狭軌線(こくてつのとくしゅきょうきせん)では、内閣鉄道院・鉄道省・運輸通信省・運輸省・日本国有鉄道が運営した日本の国有鉄道の路線のうち、特殊狭軌である762mm(2ft6in)規格の路線群について記述する。

これらの路線群に対しては、「国鉄狭軌軽便線」をはじめとしてさまざまな呼称がなされているが、公式に統一された名称は存在しない。

元来、国有鉄道には1067mm(3ft6in)以外の軌間を持つ路線は存在しなかった。1906年の鉄道国有法による大規模な私鉄国有化でも、私設鉄道法の影響で各会社の軌間が1067mmに揃っていたため、結果的に路線網に別の軌間が入り込む余地はなかった。

それが覆ったのが、1914年のことである。湧別軽便線(後の石北本線・名寄本線の各一部)建設の際、一部が762mm(2ft6in)軌間で建設されたのである。ただし新規路線として762mm軌間が用いられたのは、これが最初で最後となった。

しかし新規に敷設されることはなくとも、大正時代から昭和初期にかけて敷設予定線区に存在する既存私鉄の買収を次々と行った結果、762mm軌間の路線が国有鉄道の路線網に混じるという現象が発生することになった。これらの路線に対し国有鉄道は一時的にそのまま762mm軌間の特殊狭軌線として運営し、その後一部を除き改軌および改修を行って路線網に編入するという処置を取ったのである。

特殊狭軌線の存在期間は一部の路線を除けば基本的に短く、短いものでは1年、長くても10年未満であった。このため路線の消長が激しく、総路線数や総路線距離は断続的に増減を繰り返していたが、それでも昭和に入ると買収私鉄そのものの増加から総路線数・総路線距離ともに増大し、1936年から1938年にかけては総路線数6本、総路線距離184.2kmと最大値を記録した。しかし戦時中になると改軌を完了する路線が増えて急速な減少に転じ、戦後は釜石西線のみとなった。そして最終的に1950年の釜石西線改軌完了をもって、その37年間の歴史に幕を下ろすことになったのであった。
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官設線 [編集]
次の1線のみである。石北本線・名寄本線の項も参照のこと。

湧別軽便線 [編集]
区間:留辺蘂 - 社名淵間
全通:1915年11月1日
改軌:1916年11月7日
元々は北海道の鉄道敷設に関する予定を定めた北海道鉄道敷設法に名寄駅 - 下湧別駅(のちの湧別駅)間の予定線としてあった路線で、本来は着工する予定のないものであったが、開拓を急ぐ声から着工が具体化した。

この時に内閣鉄道院が用いたのが「軽便線」の制度である。軽便線は鉄道敷設法やそれに類する法律で敷設が予定されていない路線に適用される路線規格で、軽便鉄道法に準拠し施設の簡易な支線として建設することを条件に、帝国議会で予算承認を得るだけで建設出来た。そのため、これをうまく使ってこの急な建設具体化に対応しようとしたのである。その結果、当線は網走本線(のちの池北線全線、石北本線・釧網本線の各一部)の支線に変更して「軽便線」として着工されることになった。

これに際し、財政逼迫を理由として留辺蘂駅から先は1067mmではなく762mm軌間で建設することになり、1915年11月1日に社名淵駅(のちの開盛駅)まで開業。その先、下湧別までもそのまま762mm軌間で着工しかかっていた。

しかしこの区間の開通に前後して、帝国議会で全区間を「軽便線」ではなく幹線格であり本来の当線の規格である「本線」として建設することが決定し、社名淵駅から先の軌間も1067mmに変更された。このために当区間は開業した直後からいきなり改軌を迫られる事態となり、翌1916年11月7日には改軌された。軌間こそ762mmであったものの、建築定規は1067mm規格であったため、比較的早く改軌を行うことが可能であったのが救いであった。

当線の区間は後年路線改編により二分割され、留辺蘂 - 遠軽間が石北本線、遠軽 - 社名淵間が名寄本線となった。1989年に名寄本線が廃止されたため、後継区間として現存するのは前者の区間のみである。

2009年03月08日

絶対王政対議会王政

第2次百年戦争は大西洋経済の覇権をめぐる英仏間の抗争を基調とするが、政体のうえでみるとヴェストファーレン体制(主権国家体制)成立後の「絶対王政フランス」対「議会王政(立憲王政)イギリス」の戦いという見方もできる。

フランス絶対王政の特徴を以下に列挙する。
ワンド エリア ショール 二十世紀 スタス テーブ アニマロジ マクロレ オイスタ ライスワン キック フィー カウツギ バンダナ ディージ オクラ テランセラ タヒボ リーフ 夜汽車 カウチ ふたり星 ユリ最適 時空ド ミリタリー サギソウ トライプ ドーベ メリル プレタク チューブ カムカエ ラッター ソーサー ラクト バック 朝日が昇る ジプサム フェロモア ション デュアル ウォマ フラッシュ ルコア サイホン シンク タイガ デキャンタ ディスコン テーピング

ボシュエらの王権神授説をとる典型的な絶対主義王政
貴族を王の経済的保護の下に置き、かれらの政治的権力を奪うことで確立した中央集権体制
宰相を中心とする官僚制の整備(地方知事も中央政府の任命)
ヨーロッパ最大の常備軍(ル・テリエとルーヴォアの兵制改革)
身分制議会を完全に無視(1614年以後、1789年まで三部会開かれず)
王室財政の安定を目的とした重商主義政策
それに対し、イギリス(イングランドとスコットランドが合同してグレートブリテン王国が成立)では1714年にジョージ1世が即位しハノーヴァー朝が成立すると「王は君臨すれども統治せず」の原則が成立し、1721年にはホイッグ党のウォルポール内閣が成立して議院内閣制のしくみが整った。

この両者の体制の違いは一連の英仏抗争である第2次百年戦争の帰趨にも影響を与えた。

大西洋経済
ヨーロッパ経済の成長
16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ経済は以下のような諸点で大きく変化した。

中世には地中海地域を中心としていたヨーロッパ経済は、あらたに大西洋に面する西ヨーロッパにその中心を移した。
「17世紀の危機」とよばれた17世紀をのぞき、この時期のヨーロッパは人口が増加し、食糧や衣服の需要が増えた。そのため、とくに農業や毛織物などの産業に熱心であったフランス・ネーデルラント・イングランドでは経済が活性化した。
経済活性化の背景には、大航海時代以来のヨーロッパ世界の拡大があった。とりわけ西欧を要に、アフリカやカリブ海・北アメリカを結ぶ人と物の貿易連鎖、いわゆる三角貿易のかたちをとった「大西洋経済システム」が18世紀までに成立したのである。
大西洋の三角貿易
北米大陸の北部にはフランス人やイングランド人が入植して、狩猟や毛皮の売買をおこない、漁業や農業を自営していたが、北米大陸の南部やカリブ海の西インド諸島では、スペイン・フランス・イングランドなどからやってきたプランター(大農場主)が、サトウキビ・コーヒーなどを先住民の強制労働を用いて、西欧人の需要のために栽培した。これがプランテーションである。先住民インディオの多くは病死し、原綿やタバコのプランテーションもおこなわれたため、その労働力としてアフリカから大量の黒人奴隷が輸入された。

当時のアフリカ西海岸では、部族間の対立が続いていた。そこに奴隷商人がきて、部族間戦争の捕虜を奴隷として買い入れ、火器や工業製品を販売した。こうして部族間の奴隷狩りを目的とする戦争は激しさを増し、アフリカ社会は荒廃し、人口は激減した。また、大西洋をわたる奴隷船では不衛生で非人道的な扱いがなされ、病死したり衰弱死したりするアフリカ人も多かった。

北米・カリブ海域のプランターや西アフリカの部族が購入した火器・織物・ラム酒・雑貨などは西欧で製造されたものであり、大西洋経済の利益は西欧の商工業にもたらされた。この利益をどの国が掌握するかをめぐり、西欧諸国のあいだで戦争が続いたのであり、そのなかでも第2次百年戦争はとくに長期にわたるものであった。

プファルツ継承戦争/ウィリアム王戦争
フランスはストラスブールとサン・ドマング(現在のハイチ)を獲得、南インドのポンディシェリとカナダのノヴァスコシア(アカディア)を回復した。スペインはフランスに占領されたカタルーニャ・ルクセンブルクほかを回復し、長くフランス支配下にあったロレーヌ公国は神聖ローマ帝国領となる。イングランドは領土的に得たものはないが、ウィリアム3世がイングランド王として認められ、今後ルイ14世がジェームズ2世を援助しないことを約束した。スウェーデンは、プファルツ家の継承地プファルツ=ツヴァイブリュッケン公国をフランスより主権奪回した。

スペイン継承戦争/アン女王戦争
スペインとフランスが合同しないことを条件に、フェリペ5世(ルイ14世の孫)のスペイン王位継承が承認されてブルボン朝スペイン王国が成立する。スペインはジブラルタルとメノルカ島をイギリスに、ミラノ公国・ナポリ王国・サルデーニャ・南ネーデルラントをオーストリアにそれぞれ割譲し、フランスはアカディア・ハドソン湾地方・ニューファンドランド島などの北米植民地をイギリスへ譲渡した。ブルボン家としては、王冠ひとつを得るために数多くの領土を失う結果になった。ユトレヒト条約ではまた、イギリスがスペイン植民地に対する奴隷貿易独占権を獲得した。これは砂糖貿易とともに莫大な利潤を得てリヴァプールやマンチェスターに資本が蓄積されることとなった。

この戦争に先立ち、イングランド議会とスコットランド議会が合同してグレートブリテン王国が成立している(1707年)。

オーストリア継承戦争/ジョージ王戦争
オーストリアはプロイセンにシュレージエン地方を、スペインにパルマ・ピアチェンツァを割譲、各国はマリア・テレジアの相続人としての所領の不可分を定めた国事勅令を確認した。北米では、ニューイングランド植民地軍がカナダ東部の要衝ルイズバーグ要塞を陥落させたが、アーヘンの和約によって返還。せっかくの植民地軍の奮闘もイギリス本国の国益のために無視された格好となった。

ムガル朝インドではカーナティック戦争が英領マドラスと仏領インドの首都ポンディシェリとの間で3次にわたって繰り広げられた。南インド東海岸の貿易拠点、荷物の集散地をめぐって争われ、オーストリア継承戦争後も続いた。最終的にはイギリス側の勝利に終わり、ポンディシェリは陥落した(1763年)。

2009年02月19日

第二次カサブランカ沖海戦

C.E.71年7月24日、地球連合軍がジブラルタル基地に侵攻。カサブランカ沖にてグーン、ゾノの水中MS部隊が、ジェーン・ヒューストン率いる少数のフォビドゥンブルー、ディープフォビドゥンらにより壊滅状態に陥れられた。
マッチョ シスター シャンソン ミズバシ ストック オタワ ビピンセット モカシ クアヘン ランプ ジョー たけのこ ハットピン スコー どひ ノーサンキュ ケース ブイカッタ バウハ テイクオフ ジェム デグレー バラモン ライト コモデ ダイナモ いえごん ミドル 陣の風 タブロイド キシレン オー ラテン レディ ムートン クオンツ パペット ユーレカ ホーム ターフビ ジュゴン オフショ パリジャ オフラ ブランド 学園祭 プロッター チャマ ハンドマッ バール

これによりザフトは、地球軍の侵攻を防げなくなりジブラルタル基地を放棄せざるを得なくなり、ヨーロッパから撤退することになる。以後、戦局は大洋州連合方面に移行することとなる。

八・八作戦
第二次カサブランカ沖海戦の成功の流れに乗り、地球連合がコズミック・イラ71年8月8日カーペンタリア基地を最終目標として発動。

第1弾としてビクトリア基地より打ち上げた軌道上のMSを降下させる「エアーズロック降下作戦」を開始、降下したオーストラリア内陸からの地上部隊と太平洋艦隊による挟撃でカーペンタリア基地の陥落を企図する。しかしこの作戦は長引き、戦争終着まで決着がつくことはなかった。

尚このころからビクトリア宇宙港から続々とMSや人員、物資などが月面プトレマイオス基地に送り始められる。

エルビス作戦
C.E.71年9月11日、地球連合軍司令部はプラント本国攻撃を最終目標としたエルビス作戦を発動。極秘裏に各方面より戦力を結集させる。

ボアズ攻略戦
C.E.71年9月23日、地球連合軍がエルビス作戦の発動に伴いプラント最前線の宇宙要塞ボアズ(旧東アジア共和国資源衛星 新星)攻略の為に行った戦闘。

地球軍は第6、第7機動艦隊が参加し、モビルアーマーのメビウスに加えストライクダガーを投入しボアズへ侵攻。対するザフトのボアズ守備部隊は従来のジン、シグー、量産機では初めて小型ビーム兵器標準装備のゲイツで迎え撃つ。

宇宙空間でのMS戦においてはザフト側に一日の長があり、数と装備の不利にもかかわらず善戦し、当初は優勢に戦いを進めていたが、ドミニオン所属のカラミティ、フォビドゥン、レイダーやガンバレルダガーからなる105ダガー隊らによって戦線を崩され、ボアズへの道を開かれてしまい、そこにメビウスで構成された核攻撃隊であるピースメーカー隊の核攻撃によってボアズは壊滅した。

再び行われた核攻撃に憤怒したパトリック・ザラ議長は極秘裏に建造された最終兵器ジェネシスの使用に踏み切る。

第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦
C.E.71年9月26~27日に、プラントの最終防衛ライン、ヤキン・ドゥーエ宙域で行われた地球軍、ザフトの事実上の最終決戦。パトリック・ザラがザフト全部隊の指揮を行っていた。

地球軍は核攻撃部隊 ピースメーカー隊によるプラント本国へ核ミサイル攻撃を行うも、後方に部隊を配置していたイザーク・ジュール率いるジュール隊、介入してきたラクス・クラインら三隻同盟に阻止される。その直後、ミラージュコロイドで隠匿されていたジェネシスの第1射で地球軍はプラント攻略部隊総旗艦「ワシントン」を含む戦力の40%以上を撃破される大打撃を受け、デブリベルトに一時後退を余儀なくされ、またザフトの追撃で更に多くの艦船とモビルスーツを失った。

地球軍はあまりの損害に月面プトレマイオス基地への撤退を考慮するも、ドミニオンに乗艦していたブルーコスモスの盟主ムルタ・アズラエルはジェネシスの威力を恐れ再度の総攻撃を指示。残存戦力の再編後地球軍は再度の進行を開始。

翌27日のジェネシスの2射目で、補給を兼ねた第2陣諸共プトレマイオス基地が消滅。アズラエルはこれに憤慨し、ピースメーカー隊による再度のプラント核攻撃を行うも、フリーダム、ジャスティスらに阻まれフォビドゥン、カラミティが相次いで撃墜、さらにピースメーカー隊も母艦「ドゥーリットル」を含め全滅。この時点でプラント本国への攻撃が不可能となり地球軍の勝利は潰えた。また地球連合を実質指導していたアズラエルもアークエンジェルのローエングリンによりドミニオンを撃沈され死亡した。

だが、ザフトの実質的勝利が決まってもパトリック・ザラはジェネシスによる攻撃を中止しなかったため、残存の地球軍艦隊はジェネシスの破壊に奮戦する。

ついに地球(厳密に言えば大西洋連邦首都ワシントンD.C.)に照準を定めるが、地球に向けたジェネシスの発射と射線上のザフトの部隊をも巻き添えにしようとするパトリックのやり方に疑問を抱き、パトリック本人に地球への照射の中止を具申した直後にパトリックに銃撃されたザフト兵レイ・ユウキが、息絶える直前でパトリックを射殺する。これにより戦意を喪失したザフト兵達はヤキン・ドゥーエを放棄する。

しかしパトリックは、死の間際にジェネシスの発射に連動したヤキン・ドゥーエの自爆システムを作動させていた。そのため、ヤキン・ドゥーエは内部爆発により崩壊し、要塞としての機能のほとんどを失った(なお、ジェネシスは発射直前にジャスティスの自爆により破壊されている)。

この戦闘の直後、レジスタンスにより救出されたアイリーン・カナーバら旧クライン派により地球連合に停戦が申し込まれている。

―― ここまで『機動戦士ガンダムSEED』上での出来事 ――

南アメリカ独立戦争
C.E.71年11月、前年の2月に大西洋連邦によって併合されていた南アメリカ合衆国が大西洋連邦からの分離独立を宣言し勃発した紛争。

南アメリカ合衆国は、ストライクダガーを主力としたMS部隊を保有しており、大西洋連邦はそれに対する形でプラント制圧部隊として待機していたダガーLを中心とした大部隊を派遣した。

主戦場に南米の森林地帯が含まれるため、政治的な理由によりMSの火力には制限があり、戦局は局地戦に終始し、装備もソードストライカーなどの近接戦装備に限定される事になった。

地球連合軍のトップエース「切り裂きエド」ことエドワード・ハレルソンが乗機ソードカラミティと共に連合を脱走・南アメリカ軍に合流した事で一躍マスコミの注目を集め、地球連合軍もエースパイロット、モーガン・シュバリエ、レナ・イメリアをエドワードの刺客として投入し、その対決をエドを主人公にしたニュースショー的な報道がされた。

その後、南米で修行していたバリー・ホーやエドワードに破れ和解したジェーン・ヒューストンも南アメリカ軍に加勢した。また、紛争末期にはザフトがユニウス条約の批准を名目に介入していた。

紛争はユニウス条約締結まで続き、それにより南アメリカ合衆国の独立自治が認められた。ただし、パナマ基地は引き続き地球連合軍の勢力下に置かれた。また、南アメリカ合衆国政府は地球連合に加盟している。

なお、紛争以前から駐留していたザフトの監視部隊は条約施行により撤退した。

ユニウス条約締結
C.E.72年3月10日、地球連合とプラント間に停戦条約としてユニウス条約締結が締結。

条約では、地上の国境線をコズミック・イラ70年2月10日以前へ戻す事や、ニュートロンジャマー影響下においても核兵器の使用を可能とする「ニュートロンジャマーキャンセラー」や、大量殺戮兵器ジェネシスの隠匿に使用された「ミラージュコロイド」の軍事利用を禁止し、人口、国民総生産、失業率といった両国の国力を基準に戦艦やMSの生産・配備数の制限を設ける等の軍縮規定などが制定された。

この条約により大西洋連邦に併合されていた南アメリカ合衆国の分離独立が認められ、オーブも自治権を回復した。ザフトはカオシュン基地を東アジア共和国へ返還、さらにカーペンタリアとジブラルタル以外の拠点からの撤退を余儀なくされた。戦力数からも地球連合有利な条約で、プラント側には不利ではあったが、戦争の起点地でもあるユニウスセブンで条約が締結されたことによりプラントの面目は保てるとのことで締結された。

しかしながら、多くの犠牲を払った大戦が終結した後も両者の間のわだかまりは消えず、地球連合は大西洋連邦のアーヴィング大統領が任期切れとなり直後の大統領選挙でジョゼフ・コープランドが大統領に選出される。

また、プラント側が不利となったこの条約の締結に合意した為にプラント内から批判を浴びたプラント暫定評議会はアイリーン・カナーバ議長以下、暫定評議会は総辞職した。

ちなみにこの頃から両者共に戦力の再編、新型MS・MAの開発など次の開戦に向けて準備を始めている。

地球連合側は宇宙における最重要拠点のプトレマイオス基地と戦力の大半をジェネシスで失い、またプラント攻撃の実質的指導者というべきムルタ・アズラエルが死亡したことによって停戦へと傾いた。一方ザフト側も最終兵器のジェネシスと徹底抗戦を主張していたパトリック・ザラ議長を失った事により穏健派が実権を握り停戦を申し入れ終戦に向けて講和会議が開催されることとなった。

会議は南アフリカ統一機構の首都ナイロビで行われ「ナイロビ講和会議」と呼ばれるようになる。地球連合はプラントに対する「国家としての」独立と引き換えに軍事力の放棄を迫るがプラントは断固拒否。会議はその後数ヶ月に及び、その間に南アメリカ独立戦争が勃発する。

会議が進展しない中スカンジナビア王国外相リンデマンが一つの提案をした。「お互いの国力に応じた軍事制限」を基本とする「リンデマン・プラン」である。とりわけ人口が大きなパラメーターとなるために地球連合側有利(制限が有っても無くても国力や兵器保有量は地球連合が大となる)となっている。プラント側には不利に見える内容であったが、技術的な自信やその他の部分で地球連合側の譲歩を引き出させた事、さらに前大戦の悲劇の地であるユニウスセブンで条約締結が結ばれる運びとなり、条約を受け入れる事になった。

条約案
リンデマン・プラン(スカンジナビア王国外相リンデマンの提案)の遵守
モビルスーツ、モビルアーマー、戦艦の数は人口、GDP、失業率等のパラメーターにより算出される。
双方賠償金はなし。
戦犯は国家ごとに独自に裁判にかける(国際法廷は開かない)。
プラントは地球上の占領地を無条件で放棄(軍事基地については扱いは別。ただし実際には、軍事基地の無い占領地というものは無かった)。具体的には、「ジブラルタルとカーペンタリア以外の地上拠点を放棄した」[2]。このため大規模軍事基地を月面に置く地球軍側に対抗するための防衛ラインは、プラント本国周辺に展開するしかなかったという[2]。月面に新たな基地を建設することも条約では認められてはいたが、何故か実施はされなかった。「ジブラルタルとカーペンタリア以外の地上拠点を放棄した」はずなのに、ディオキア基地、マハムール基地、マルマラ軍港が『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』になぜ登場するのかについては、不明である。
旧プラント理事国への関税優遇措置(非理事国との差は以前ほどではない)。
双方、リンデマン・プラン遵守の査察を無条件・無制限で受け入れる。
MS等、兵器へのニュートロンジャマーキャンセラーの搭載禁止。
ミラージュコロイド技術の使用禁止。
プラント及びザフト側条約監視団常駐基地や在地球公館の所在地として、ジブラルタルやカーペンタリアの使用を認める。
地球連合及び連合加盟国側の条約監視団常駐基地や在プラント公館として、ザフトの軍事衛星の一つを提供する。
プラント近くの軍事衛星が提供される。
月は全域を中立地帯とするが、双方同数の拠点を置くことを認める。
地球連合は後にアルザッヘル基地を建設。
地上の国境線および国家を戦前のコズミック・イラ70年2月10日の状態に復旧する。
条約により、地球上に展開していたザフトは、ジブラルタル基地やカーペンタリア基地などの条約監視団常駐基地や在地球公館として使用される拠点を除いて地上より撤退し、それ以外の拠点は放棄する事になった。

また、地球連合の監視下にあったオーブ連合首長国及び南アメリカ合衆国は条約の発効により独立国家へと戻っている。

政治面の影響
ユニウス条約は、プラント側が不利な内容のため、プラント臨時評議会は紛糾し条約締結後にアイリーン・カナーバら臨時評議会は総辞職し、ギルバート・デュランダルを議長とする新評議会が発足している。
一方、地球連合を実質指導する大西洋連邦では、アーヴィング大統領の任期切れにより次いで行われた大統領選で軍産複合体「ロゴス」との結びつきが強いジョゼフ・コープランドが選出されている。
軍事面
条約によりMSの配備数が制限された事で、以前にも増してMSには多用途性が求められるようになり、ザフトでは装備の換装や変形によりさまざまな状況に対応可能な「ニューミレニアムシリーズ」や「セカンドステージシリーズ」と呼ばれるMS群の開発が進められた。また、核エンジンに代わる機体エネルギー確保の手段として「デュートリオンビーム送電システム」が開発された。
地球連合軍は、ストライクの武装換装システムを引き継いだ廉価量産機ダガーLや、さらにストライクと同等の性能を維持した完全量産機ウィンダムを開発した。また、単機の攻撃力を極限まで高めた大型機動兵器を主力とする構想の元、ザムザザーを初めとした大型MAを次々に開発した。

2009年02月03日

大河内氏(おおこうちし)清和源氏、摂津源氏の一族

大河内氏(おおこうちし)は、清和源氏、摂津源氏の一族で、源頼政の孫、顕綱(あきつな)が三河国額田郡大河内郷(愛知県岡崎市大平町字大河内・注、異説あり。洞町等)に移り住み、大河内氏を称したことを始まりとする。顕綱の父は源兼綱。正綱の代に、徳川氏一族の河内源氏で新田氏流とされる長沢松平家の養子となり、それ以後は大河内松平家と言う。江戸時代は大名や旗本であり、知恵伊豆と称される老中松平信綱などを輩出した。明治に入り、大河内姓に復する。
アマウ クチュール カートゥ ヌクレア ロデックス シフォン サーチ気球 ぎおん ミルキー バルコニー シェア クロモジ ジアス ゲードル じょうそう ドキュメ サクラソウ ハーフ デニム フォトジ ちとせ モンター ローブ レモン パラオ キッチュ マンノ ソテツ 江戸一 フェデ バンデージ スムーズ テレオ ドット ヤマブ チューニン オーダー バックミラ ニョリータ ネベ幸 ボール ニビル ギアシフト がかい あかぼり ビューロ ビロウ バンカ ユーラトム シーディー

長沢松平家に養子になる前
以仁王の乱(治承4年(1180年))で、祖父源頼政と父源兼綱を討たれた源顕綱は母と共に三河国額田郡大河内郷(現在の東名高速道路の岡崎インターチェンジの辺り)に落ちた。後に足利義氏(文治5年(1189年)?建長6年(1255年))が承久の乱(承久3年(1221年))の戦功により鎌倉幕府の命で守護職として三河国に入った。顕綱は年下の足利義氏の傘下に家臣として入った。この源顕綱が初代大河内顕綱である。その子、大河内政綱(政顕)は足利泰氏の臣下となったとされる。その後、大河内家は足利一門の血統の吉良氏の家老となる。幡豆郡の寺津城(大河内氏の正紋から臥蝶城とも呼ばれる。西尾市寺津町)を拠点とする。吉良氏の所領である遠江国引馬荘(静岡県浜松市)の代官となった一流があり、備中守貞綱は斯波氏と結び今川氏に執拗に抵抗した。 12代金兵衛秀綱(天文15年(1546年) - 元和4年(1618年)9月13日)の代になって徳川家康に属し、秀綱は慶長年間に鹿沼で代官をつとめた。

近世以前に分かれた一族の別系に、代々「大河内善兵衛」を称した旗本があった。

長沢松平家に養子になって以後
天正15年(1587年)、徳川家康により、大河内秀綱の二男正綱が長沢松平家庶流の松平正次の養子となり、旗本として出世の後、元和3年(1617年)に相模国玉縄藩2万2000石の大名となった。このため大河内一族は松平氏を称することが許され大河内松平家と呼ばれる。江戸時代は、宗家は旗本だったものの、大名の分家が幕末に三家有った。松平伊豆守という名は、大河内氏の一分家の大名が代々名乗った。武蔵国忍藩(埼玉県行田市)そして川越藩主(同県川越市)であり智慧伊豆と謳われる松平伊豆守信綱は大河内氏である。明治以後は大河内氏に戻した。大名の三家は、爵位を下され、子爵家となった。

末裔には理化学研究所の所長も務めた物理学者の大河内正敏がいる。

紋所
家紋は、正紋が臥蝶に十六菊(ふせちょうにじゅうろくきく)(通称、伊豆蝶)、替紋が三ツ扇(みつおうぎ)である。また、分家の上野国高崎藩(群馬県高崎市)の家系の替紋は高崎扇と呼ばれ、この形を基盤に高崎市立の高崎経済大学の学章ができた。

系譜
凡例 実子は太線、養子は二重線。
源頼政
 ┃
 兼綱
 ┃
大河内顕綱
 ┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓(長縄大河内氏)
 政顕                         貞顕
 ┣━━┳━━━━━━━━━━━┓           ┃
 行重 正保          仲顕          氏綱
  ┣━━┳━━┓        ┃           ┃
 宗綱 良弁 政綱       仲久          氏長
 ┣━━━┳━━━┳━━┓   ┣━━┳━━┓     ?
 貞綱 巨海道綱 氏綱 貞重  政兼 久兼 顕教    重氏                
 ┣━━┓       ┃               ?
 光将 頼幸      国頼              貞重
 ┣━━┳━━━━━━━━━┓             ┃
 国綱 兼範        貞仲            政貞
 ┣━━┓         ┃
 光綱 満澄(桃井大河内氏)政之
 ┃
 真綱
  ┃
 信政
 ┃
 信貞
 ┃
 秀綱 松平正次(長沢松平家)
 ┣━━━?
 久綱  正綱(大河内松平家)
 ┃   ?━━┳━━┳━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
 信綱   信綱 利綱 正光 正朝(旗本3500石)                 正信(大河内松平宗家) 
     ┣━━┳━━┳━━━━━━━━━━━━━┳━━━┓          ┣━━┓
     輝綱 吉綱 信定            信興  堅綱(旗本1000石)  正久 正基(旗本3000石)
     ┣━━┓  ┣━━┳━━┳━━━┓   ?━━?           ┣━━┳━━┳━━┓
     信輝 輝貞 斐章 信望 輝規 九鬼隆直 輝貞 斐章          正貞 正佐 正武 正方 
     ┃                   ?              ?━━┓
     信祝                  輝規             正温 久瑞     
     ┣━━━┳━━━┳━━━┓       ┃      ┏━━━┳━━━╋━━┳━━┓
     信復 中川久貞 正温 安藤直之     輝高     信譲 本庄道信 正升 資承 正恒            
     ┣━━┳━━━┳━━━━┓       ┣━━┳━━┓        ┃
     信礼 信正 本庄道揚 遠藤胤富     輝和 輝行 輝延       正路
     ┣━━┓                ?━━┓     ┏━━┳━━╋━━┳━━┓
     信明 信邦               輝延 輝健    正従 正当 正敬 正義 正記
     ┣━━━┳━━━━┳━━━┳━┓    ┣━━┳━━┓        ?━━┳━━┓
     信順 本庄道貫 津軽順承 忠質 ┃    輝承 輝茂 輝実       正義 正和 輝聴
     ┃   ┏━━━━┳━━━━┳┛    ?              ?━━┓
     信宝 内藤信志 大森信道 阿部正瞭    輝徳             正和 正晴      
     ?                   ?              ?
     信璋                輝充            大河内正質
     ?                   ?              ┣━━┓
    大河内信古               輝聴             正倫 正敏
     ┣━━┓                ┣━━━━━┓        ┃
      信好 信成              大河内輝声 大河内輝剛    正陽
     ?                   ┣━━━┓          ┃
      正敏                  輝耕 戸田氏秀       正樹
     ┣━━━┓               ┃              
      信定  信敬               女=浅野長之(旧安藝広島藩主家)   
     ┃   ┃                ┃
      元冬 河内桃子              輝信      
                          ┃
                           輝義
 
  旗本

大河内秀綱
  ┃
  久綱
  ?━━┳━━┳━━━┓
  重綱 信清 忠勝 松平信綱 
(大河内宗家750石)   ┃
  ┃         信定(松平伊勢守家・遠江国内5000石)  
 信久         ┃
  ┃         信望
 信相         ┃
  ┃       (数代略)
 久豊         ?
  ┃         信譲(松平正温の四男)
 豊貫         ┃
  ┃         信弥
 久雄         ┃
  ┃         輝徳(松平輝承の養子、家督相続)
 久徹

長沢松平家へ養子になる前
以仁王
源頼政
源兼綱
承久の乱
鎌倉幕府
足利義氏
室町幕府
吉良氏
寺津八幡社

長沢松平家へ養子になって以後
長沢松平家
徳川幕府
高崎藩
大多喜藩
大河内正質
三河吉田藩
時習館 (三河吉田藩)
豊橋市
渡辺政香
金鳳山平林寺(菩提寺、埼玉県新座市)